発足の経緯
1973(昭和48)年企業が決めた定年制度で、定年退職と同時に組合とも連携が取れなくなる・退職願いと身分証明、バッジを返却して会社や工場の門を後にする。しかし、1979(昭和54)年からは、退職願を出しても翌日からはバッジを付け、施設の利用や総合共済も受けられるという画期的な定年退職組合員制度(エルダークラブ)を発足させた。
1978(昭和53)年10月の日産労連第14固定期大会において、定年退職組合員制度について満場一致可決され、翌1979(昭和54)年3月1日に定年退職組合員制度として発足しました。
この制度は、日産労連の企業グループで働き職場で長年にわたり苦労された先輩のみなさんが、定年後も「生きがいをもって老後も生活できるように」また「働く意志と能力があれば仕事を通じて社会に貢献できるように、可能な限りの対策を継続していく」との趣旨で発足しました。
1979(昭和54)年当時は、労働組合が定年後の先輩を組織化して活動することに各方面から大変注目され、マスコミでは「定年後も組合員」と報じ将来の高齢化社会への取り組みとして、高い評価を受けました。日産労連の中心組合である日産労組では、定年延長の取り組みとして1969(昭和44)年に、それまでの嘱託制度を拡充し、55歳の定年後も希望者は全員定年嘱託として60歳まで継続雇用されるようにしました。そして1973(昭和48)年、労使支渉により、定年60歳が実現されました。
定年組合員に入会できる資格は、原則、日産労連の組合員だった人で、非組合員、管理職だった人でも資格があり、定年退職後の再就職先が労連傘下以外の企業で働く人にも門戸を解放しました。機関誌の配布、組合・企業が主催する行事への参加、保養施設の利用など現役と同じ待遇が付与されました。
そして、定年組合員による自主的な運営を進めていくために定年組合員の中から役員(本部代表幹事、副代表幹事、ブロック代表幹事、ブロック副代表幹事、地区幹事、幹事など)を選出し、自主活動の活発化と「ふれあいネットワークづくり」を柱として取り組んできました。
また、日産労連の定期大会には、定年組合員の代表が代議員および傍聴としても参加しております。
【1979年3月1日 創設】
機関誌「ゆうLife」 1999年10月号掲載
今年は7月に無事終了! 20周年を記念して、第1回の幹事会が行なわれた“浅草”で開催しました。堀澤代表幹事の「エルダークラブに入ってよかったと言われる組織づくりを推進していこう」との力強い挨拶ではじまり、討議後は食事をしながら時間も忘れ楽しいひとときを過ごし、思い出深い幹事会となりました。
機関誌「ゆうLife」 2009年5月号掲載
日産労連・エルダークラブは、今年3月に創設30周年を迎えたことを記念して、各ブロック会員約250名と歴代の幹事代表や日産労連役員が集まり、創設30周年記念式典を開催しました。1979年(昭和54年)から30年間の思い出を「あゆみボード」で振り返りながら、フィナーレは、肩を組み輪になり「涙そうそう」を合唱しました。
また、統一行事として、全国ボウリング大会(7月~11月間)を行ない、各ブロックでは全会員が30周年を祝い合えるように、各種イベント(2009年7月~2010年6月)を企画しています。
エルダークラブのご案内は組合員サイトへ